2008年12月11日

GO TO 新宿ゴールデン街

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 わたしがちぎるこのパンは かつて燕麦だった、
 異邦の木に生ったこの葡萄酒は
 その果実のなかに飛び込んだ。
 昼は人が、夜は風が
 穀物を倒し、葡萄の歓びを打ち砕いた。

           ディラン・トマス

            (訳;松田幸雄)

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プロバイダーの故障とやらで2日間ネットが使えなかった。
ネットだけでなく、ケーブルテレビも見れない始末。
やれやれまたか、という感じ。
故障の回数も多いが、
直すのも遅いのが自由重視国(=開発途上国)の
真骨頂なのだろう。
いつものこととは分かっていても
その度にイラつくのは我が悟りが足らん証拠だろうね。
あげく、
きょうスーパーで買ったアメリカ製バーベキュー・ソースは
蓋が一度開けてあり、
マヨネーズはチューブの一箇所に小さな穴が開いていて、
少し中身がもれていた。
家にたどり着いてから気が付いたので、
そのまま使うことにするしかない。
クレームしても始まらない国だからね。

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11月末に新宿ゴールデン街に行った。
長年行きたいと思っていたが、
今回初めて行くことができた。
というのも若い人たちが付き合ってくれると
言ってくれたからだ。
30過ぎなのに絶対18歳にしか見えない建築家の礼(あや)さん、
沖縄生まれでしっかり者の圭くん、
マイケル・ジョーダンより背が高いかもしれない
旅行とカメラマニアの康太郎くんの面々だ。
圭くんは旅行を控えていたので、
歌舞伎町からゴールデン街まで
キャリーバッグを引きずりながら歩いていた。
「なんか田舎から上京してきたその日に歌舞伎町で
 仕事探してるみたいだね」
とわたしは冗談をいった。

その日、まず待ち合わせたのがアルタ前だった。
老人のわたしにぴったり過ぎるほどの待ち合わせ場所だ。
そこで礼さんが呼び込みの人と話を決めた
歌舞伎町のアジアン屋台村とかなんとかいう
ところで飲むことにした。
そこではいろいろなアジアの店が出ていたが、
初めてなのでとりあえず居酒屋風の店に入った。
ところが料理は遅いし、まずいし、
さらには焼酎水割りは水より薄いしろものときていた。
これでは水だけのほうがもっと酔えそうだ。
場所を変えようということになり、
二件目はタイ料理店にした。
というのもここでは
すこぶる愛想のいいアジアン・ガールが呼び込みをしていて、
特別20パーセント引きという。
その口車に乗って入ったのだが、悪くなかった。
悪くなかったが寒かった。
実はその屋台村はビルの屋上にあったのだ。
各店はビニール・シートで覆われているだけで、
11月の寒気が容赦なく襲ってくるのだった。
それで客の酒量も上がり、
20%引きでも採算がとれるのだろうと見たが、
いやあとにかく寒かった。
こんな寒い場所でタイ料理を食わせるのは
世界でもここ一箇所だけだろう。

「あなたタイ人ですか?」
とわたしは呼び込みのアジアン・ガールに訊いてみた。
「いやバングラディシュ人です」と意外な答えが返った来た。
「え? なんで、なんで?」とわたしは食い下がる。
「ここのオーナーがバングラディシュ人なんです」
「ああ、そうか、じゃあのボーイさんもそうなの?」
「ええ、みんなそうです」
「そうか、海外でインドネシア人がやってるスシバー
 みたいなもんだね。ここのタイ料理、大丈夫かなあ?」
「おいしいですよ。それに特別の特別で20%引きですから」
「そんなに特別なら、じゃ50%引きにしてよ。
 今度タイ料理大好き人間ジョゼフを連れてくるからさ」
「えっ?50%? それはちょっと……」
といいながら彼女は別のテーブルに逃げていった。

タイ料理大好き人間のジョゼフとは
タイに長く滞在した経験があるイギリス人の英語の先生の
ことである。
まだ20代前半と若いにもかかわらず、
経験豊富なヤングマンで、
タイ武術のムエタイも得意らしく、そして本や音楽も貪欲に
吸収しているふしがある。
そんな文武両道の彼は作家になるためにニューヨークで
勉強したいとの夢を持っている。
イギリスのミシマになる気なのかもしれない。
それでわたしたちはよく文学の話をしたのだった。
そういえばわたしがレディオヘッド「イン・レインボウズ」という
アルバムを買ったのは彼の影響である。
レディオヘッドの他のアルバムはおおよそ持っているのだが、
これは持っていなかった。
その日もできたらわたしたちに付き合って
来てくれるはずだったが、
あいにく大阪に行く予定になっていたので
来れないとの連絡が入っていた。
「ジョゼフ、今頃大阪かあ。康太郎くんさ、いまおれたち
 タイ料理店に入ってるってジョゼフにメール打ってみてよ。
 きっと大阪から飛んで帰ってきたがるよ」
 とわたしは康太郎くんにいった。
「あのう、それがですね、ジョセフさあ、昨日どこか東京での
 ライヴにいってその流れで酔っ払ってきょうは
 酔いつぶれているみたいですよ」
「えっ? じゃ大阪行ってないの?」
「みたいですよ」
「なあんだ、じゃ今からでも来ればいいじゃない」

結局その夜ジョゼフには連絡しなかったが、
わたしたちは屋台村を後にして
本日のメイン・イベントである
ゴールデン街に向かって歩き出した。
7,8分で「新宿ゴールデン街」というアーチがかかった
一画に出た。
なにか雰囲気が違う。
正面にパブみたいなのがあって外人観光客で一杯だ。
入りきれない外人客は外の椅子に座ってビールを
飲んでいた。
とにかく路地が迷路のようにあるので
そこを進んでいくことにした。
するとのっけにチョンマゲ姿の青年と黒人ミュージシャンの
コンビに出くわした。
チョンマゲはカツラではない、本当に剃って、結ってある
チョンマゲなので度肝を抜かれてしまった。
「今からライブやるから来てよ」と二人に誘われた。
「ちょっと待ってよ、これから路地をずっと見てまわんだから
 そのあと行くよ」といい加減に答えると、
「だめだめ、今来ないと、きっと来ないから」
「何時から?」
「あと30分ぐらいしてから」
「じゃあ路地をざっと回ってから行くよ」
「ほんとに?」
「武士に二言はない」とわたしは答えた。

ゴールデン街の路地を歩いているときに
康太郎くんはバチバチ写真を撮っていた。
写真が趣味なのでいつもバチバチ撮っているのだが。
アラーキーにでもなる気かしら。
するとわたしが「ゴールデン街撮影禁止」の警告板を見つけて
彼にいうと、その警告板もバチバチ撮っていた。
どんだけ写真マニアなんだ。
一通り路地を見てまわった後に
チョンマゲさんと黒人ミュージシャンのコンビの
ライブをやっているというバーに行った。
しかしすでに始まっていて、
中は満員で入れそうもなかった。
仕方なくまた店を物色しながら
路地を歩いていった。
残念ながら圭くんは旅行の電車の時間が迫ってきていて
そこで別れを告げたが、また一緒に飲むことを誓い合った。
結局残り3人のわたしたちが入ったバーは、
写真家の溜り場みたいなところで二階にあった。
二階だなんて、ゴールデン街の通が行くところであることなど
知るよしもなく。
中のカウンター席は常連客でいっぱいで、
開いてるところは隅っこの3席だけだった。
その隅っこの奥にはびっしりと写真集が並べられていた。
知らない写真家のもたくさんあったが、
森山大道やアラーキーという有名どころもあった。
わたしが好きな高梨豊のはなかったみたいだが。
後からやってきた品のいい女性が
バーのオーナーさんだとカウンターのマスターが
紹介してくれた。
しばらくの間、
オーナーであるマダムとマスターからいろいろな話を聞き、
その後、
終電車に向けて新宿の街をダッシュしたのだった。
バーを出るときにわたしは尋ねた。
「何時ごろまでやってるんですか?」
「今からが本番ですよ。夜中の二時とか三時とかがピーク
 なのよ」とマスターは答えた。
昔のわたしならそのまま居座って飲み続けただろう。
今からが本番といわれて黙って引き下がるわけにはいかない
からだ。
でもねえ、寄る年波、老齢には勝てない。
老兵はただ消え去るのみ。
本当に酒は飲めなくなった。

このゴールデン街に学生の頃来ていたらとふと思った。
その頃は、
大島渚や石堂淑朗や若松孝二や唐十郎や寺山修司や
野坂昭如や田中小実昌(コミさん)やタコ八郎なんかが
路地の角からひょこっと顔を覗かせたことだろう。
そして「革命だ、芸術だ」とかなんとか叫んでいたのだろう。
そう、コミさんとタコ八郎を除いてはね。
革命が嫌いなわたしは
どんな想定の世界でもやはり当時のゴールデン街には
足を向けなかっただろう。
だが、当時の熱気と活気だけは懐かしい気がする。
しかしそれにしても、
あの頃三島が割腹自殺するなんて
誰が想像しえただろう。
なんかあの時代の熱気が一気に冷めたのは
三島の割腹自殺のせいではないのかというような気が
今してくるくらいだ。
それは1970年11月25日の
市ヶ谷駐屯地での出来事だった。
あの事件のことは村上春樹の『風の歌を聴け』だったか、
『1973年のピンボール』だったかにもちゃんと出てくる。
なんというか、あの事件に
みーんなまんまと影響受けちゃってるんじゃないのかと
いうふうに思えてくるぜ。
なんのかんのいったってさ。

さて、もうこの辺で終わらせよう。
次回はコミさんの新宿ゴールデン街についての
エッセイなどを紹介したいと思う。
それと、
わたしのブログにはまず
知人友人を出演させないという決まりごとがあるにもかかわらず、
今回出演していただく羽目になった
礼さん、康太郎くん、圭くん、ジョゼフに
このエッセイを捧げたいと思う。
捧げられても意味ないとは思うけど、
結構心をこめて書きましたから。





posted by ハルナリー at 16:32| Comment(4) | TrackBack(0) | 動画映像 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
覚えてますか?そうです。
大人に混じって大人ぶってた、あの高校生です(笑)

初めてコメントさせて
いただきます!

沢木さんのブログは頭の弱い私にとっては少し難しいですが、とても面白いのでいつも見てます♪

Josephが『サワキイナイサミシイデスネ』って今日も言ってました(笑)
日本に帰ってきたらぜひまたご一緒させてください。お話聞きたいです!
Posted by かおり at 2008年12月11日 17:48
もちろん覚えてますよ、
読者モデルみたいな現役高校生のかおりさん。
あまり長い月日も経ってないけど、
もうみんなのことが懐かしくなってきました。
ジョセフは何といっても
タイランドが一番好きみたいなので、
みんなで日本もいい所いっぱいあるよと
教えてあげてください。
またいっしょに勉強しましょう。
受験がんばってね。
ハルナリー
Posted by ハルナリー at 2008年12月12日 08:06
お久しぶりです。あの時の時間が懐かしいです。
今日もジョセフと思いで横丁に行ってきました。
今まで行ったことがなかったのに、彼に出会ってから二回も行っています。日本人が日本を知ろうとしていないのかな??写真マニアの私でも、自分で言うのもなんか変ですが、あの店の中ではなぜかカメラを構えることができませんでした。なんか、感じてくれっていうのを店から感じちゃったんですよね。
今日の飲み会では、かおりさんから見せてもらったハルガリーさんのブログを和訳してジョセフに伝えました〜
Posted by 康太郎 at 2008年12月13日 01:24
ジョセフに翻訳してくれたとか、
大変だったでしょう、ありがとう。
けっこう長かったしね。
酔っ払って大阪行けなかったこと
書いてたので、彼、怒ってなかった?
ま、それぐらいはいいか。
再びしょんべん横丁でキャベツ齧りながら
飲んだのかあ、
あそこも寒いけど、それならいっそ
歌舞伎町の極寒のタイ料理店に行けばよかったのに。
もっとも
ちょっと本格的タイ料理とはいいがたいけどね。
隣にうるさい雄たけびのアメフト・グループ
また着たりしてね。
あれ、寒かったからだよ、きっと。
もう残りわずか、last spurt リキ入れてください。


Posted by ハルナリー at 2008年12月14日 04:11
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