2016年10月10日

雑文3つ(10月2016)

(1)
真田丸の真田幸村は大阪夏の陣で死んでおらず、秀頼を連れて薩摩に逃れたという言い伝えがある。さらには秀頼の子があの天草四郎となるという伝説もある。落ち武者や流罪者をすべて受け入れる薩摩藩島津家はもともとすごかったのだ。幕末近くになると蘭癖大名(蘭学かぶれ=科学好き)の名君斉彬がでてくる。斉彬は直木賞の直木三十五の出世作『南国太平記』の主要人物である。これはお由羅騒動といわれるお家騒動で、斉彬は排除されようとしていた。救ってくれたのは黒田藩主黒田長溥(ながひろ)で、この人も薩摩の島津家出身だ。黒田家というのは5代藩主まで血脈は続いたが、後はなぜか男子ができず、養子につぐ養子で血の繋がりなどまるでない。養子は多く徳川分家からとっている。11代藩主黒田長溥も養父の10代斉清も蘭癖大名で学問好きの名君といえる。長溥は金子堅太郎(ハーバード卒)、団琢磨(マサチューセッツ工科大卒)を育て、斉彬は西郷、大久保を育てた。

(2)
大隅(Ohsumi)良典さんノーベル賞おめでとう。隅と隈は違いやすい。大隅半島の大隅と大隈重信の大隈とを間違ってしまった。氏のお父上の仕事場である九大近くの馬出生まれだから福岡地区の修猶館ではなく博多地区の福高に行ったんだろうね。やっぱり怖い応援団にフレー!フッコ!、やらされたのかなあ(w)。オートファジーって、細胞におけるこんまりさんの「片付けの魔法」と同じだな(w)。 
 ちょっと前の話になるが、豪栄道全勝優勝おめでとう。豪栄道豪太郎って、名前がすごいね。相撲というのは気分はカブキ者の流れだろうな。神事というより見世物に近い。1844年頃、2.27メートルの生月 鯨太左衛門(いきつき・げいたざえもん)という巨漢力士がいたが、相撲は取らずに土俵入りだけしたというからやはり見世物である。生まれた生月島は昔から捕鯨の島だったので名前に「鯨」の字が入っている。私の祖父はこの生月(いきつき)生まれで、苗字も鯨太左衛門の本名と同じ「墨屋」である。小さな島だから何か関係があるかもしれない。

(3)昭和33年の昭和天皇の鹿児島への御行幸の時の一枚の写真を見た。鹿児島駅のプラットホームを闊歩されている天皇陛下の頭上に「二ビシ醤油」の広告看板が写っていた。これは偶然か宣伝効果を狙った意図的な写真か。天皇の政治利用ならぬ商業利用かもしれない。日本中、地方地方で醤油は地元産のものが使われていると思うが、私の地元福岡ではなんといっても「二ビシ醤油」である。全国区のキッコーマンなど旨いと思わない舌に育っているためだ(あしからず)。上記の写真を見て、二ビシ醤油は鹿児島にも進出していたのかと思って調べてみると、当たり前の話で、二ビシが使用している鰹節は鹿児島枕崎産のものだという。その頃は大島紬が大変人気があり、逆に鹿児島から博多へも市場開拓が行われていた模様だ。小学生の頃、私が住んでいた博多の商店街にも大島紬を販売する新店が出たのでそうだと思うのであるが、一枚の昭和天皇の御行幸写真から、いろいろ回想してしまった。
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2016年06月30日

雑文300616

村上龍が司会をしているTVを見ていたら、しきりと「なんか」「なんか」(何か)という言葉を挿入してしゃべっている。佐世保出身の彼の口癖だろう。私のような福岡出身の人間もよく「なんか」という言葉を話し言葉に挟める癖があるので特に不自然さは感じないが、地元っぽいなあと感じる。こういうのは子供の頃に刷り込まれてしまうのだろう。米語でいうと、「You know」だろう。これはアメリカ人のあいだでもあまり品の良い話し方とはみなされない。だがこんなことは会話の癖であるからそうそう改めることもできない。
「なんか」「なんか」が北部九州の特徴であるならば、全国レベルでは「やっぱ」とか「やっぱり」という言葉を挿入する人が多い。これも口癖であり、会話のリズム取りなのだからなかなか直らない。
 以前は米語のリズム語としての「you know」を「やっぱ」と訳していたが、「なんか」でもいいなと考えるようになった。逆に「やっぱり」とか「やはり」はどう英語に訳すか? これは「I think」がいいように思う。「やっぱり」のなかに含まれている、比較性、曖昧性も「I think」のなかに含まれている。英語の「I think」という表現は日本人には思う内容の断定のように思われるが、実は思っている内容を自信のない内容だと印象づける作用をしているのだ。
 日本語としての「やはり」「やっぱり」を考えてみると、この語は「〈私〉を省略するための言葉」と考えられる。日本語の大いなる特徴である主語を排除する方法である。「やっぱり」という語には、「私」を含ませながら「私」といわない戦略が隠されているのだ。
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2016年04月20日

雑文FF

 アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の『レヴェナント 蘇りし者』でデカプリオが熊に襲われるシーンが激烈で印象に深く残っている。いやあ、怖いなーと思い知らされていた。
 先日面白い番組をNHKで見た。星野道夫著『旅する木』という文庫本の「木」の字に横棒を入れて、『旅する本』とし、あるバックパッカーがその本に旅させてくださいと記して人に譲る。それから数年、その本は旅人から旅人の手へ渡り、文字通り世界を何週もする旅を続けているのだ。旅人は裏表紙の裏に自分の名前と所持の期間をきしているから、番組は歴代の旅人たちを探してインタヴューするというものだった。彼らはみんながみんな星野道夫のファンで、その本に感銘を受けた人たちだった。星野さんという人を知らなかったが、どこか開高健を思わせるところがある人だと思った。『旅する木』のシェルパの章のところは、アントニオーニの『愛のめぐりあい』にも同じようなヴァリエーションのインディオの話が記憶にあったので吃驚した。この素晴らしい話はすでにいろいろな形に変形され世界に流布していたのだ。それで星野道夫をウィキペディアで調べてみたら、最後はアラスカで熊に襲われ亡くなったと書いてあった。そのとき『レヴェナント』のシーンが頭に蘇ってきた。映画では半死のデカプリオがナイフで熊を殺すが、それまで散々熊の爪や牙で体中ずたずたにされているのだ。こんな死に方は、自然を愛する心優しき写真家には酷すぎる。しかし現実の厳しい自然や動物の残虐性は、映画とは違うということだろう。
死んだと報道されていた開高健はベトナムの戦場からからくも帰還できたが、星野道夫はそれができなかった。
それは紙一重の差でしかない。開高だってあの時死んでいても不思議はない。
しかし、生還しても人生は続くし、その後開高は絶域の釣り紀行へのめり込む、そののめり込み方も壮絶としかいいようがない。
私の見方では、戦争神経症に罹っていたような様子もあるし、暴飲暴食はまさにゆるやかな自殺ではなかったか、と思われる。
開高が癌で死んだ後、数年して、一人娘の道子さんも踏み切りで鉄道自殺している。
星野さんをアラスカ熊が殺したように、ベトナム戦争の凄惨な体験が開高健親子を殺したともいえる。
とにかく身体を張って求道者のような冒険に取りつかれた者の宿命的結末としか言いようもないが、それは彼らにとって
何ものにも変えがたい勲章であり、余人には計り知ることができない至福の時の瞬間であったのかもしれない。
残された私たちが悲しいととるか、誇るべき聖なる冒険者の喜びととるかは、私たち次第だ。







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雑文EE

自分にご褒美というのがあるが、自分にあまい人はすぐご褒美しちゃう、そういうのは自分に賄賂というべきである。
しかし人生皮肉なことに、自分に賄賂派は意外と救われて、救われないのは自分に厳しい我慢派である。
しかし我慢派で貧乏で報われない人生だって、人に尽くしてあげていれば、勝手に幸福感を感じていいのである。
もう何十年も前だが、信号待ちのときコロンビア人の乞食にコインを与えたら、
「日本人はケチだね、日本人からもらったのはこれが初めてだ」といわれた。
こういった文句を言いながら恵みを頂戴するのもコロンビア人らしいが、
一方日本人は乞食慣れしてないのと、日本の教育により、「あの人たちは国から援助してもらっているからやらなくていいの、
やるとクセになり乞食だらけになるから国全体のためにもやっちゃダメなの」という考えになり、
深層心理の中にあるケチも手伝って恵みは施さないという人がほとんどだ。
その割りに自分にご褒美という人は多い。
乞食に恵むという行為はまた別の心理的効果があって、ちょっとした純粋な奉仕の自己満足感が味わえるので、
変な日本的理屈を捏ね回さないで恵んであげればいいのである。
恵みを施せばこちらがちょっとした一善をしたと自己満足し、そこから来る幸福感をゲットすることができるのだ。
神社のお賽銭と同じことだ。
日本には基本的にボランティアや寄付の文化はない。
だからこういったことは良い悪いの問題ではなくて文化の差異の問題である。
南米には盗人にも三分の利という理屈をもって泥棒をするやからが多い。
日本では嘘をつかないこと、盗まないこと、時間を守ることといった言説が社会を支配しているから安心安全の社会が出来上がっている。
だがこれも文化の相違というだけの話である。
それぞれの文化でそこに住む人たちは問題なく円滑に社会活動をしているのでそれはそれでいいのである。
文化的他者性の導入などまた別の話である。
そんなことを意識的に、啓蒙的に、運動的にやらなくても、時代の流れで自然とできてくる。その土地のやり方でぎくしゃくしながら。



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雑文BB

ゆだねるという行為は、宗教の他力や念仏や祈りに似て、大切な基本的振る舞いだ。
人は常に損得を考え、論理に照らし、影響をおもんばかるといった自力的思考ではかりごと(計算)ばかりやっているが、
論理を超えてゆだねるという他力的姿勢を手に入れるのは難しく、また勇気もいる。
文学的創作、とりわけ小説において、ゆだねるとはどういうことだろうか。
忘我の状態で書くということや、「登場人物が勝手に動き出し自分ではなく中空の何者かが書いているようだった」といっている複数の
大作家のコメントのようにある無手勝流の書き方が思い浮かぶ。
しかしこれは書くという行為のそもそもの原理からいって矛盾するものだ。
小説を書くことは忘我の技たりえない。必ず自己が持つ論理性が必要である。
それなしには小説は書きえない。もしそれができたのならそれはあくまで詩であり、小説ではない。
小説の不可能性ばかり論うようだが、実際には古今東西、あまたの素晴らしい小説が書かれてきた。それも事実だ。
となると考えられるのは、忘我で書き、論理で軌道修正やトリミングをするという二段階方式だ。
原初より文学の世界では推敲の大切さが常に言われてきたわけで、おそらくは作家の第一稿というのは相当支離滅裂なものなのだろうと
いうことが推測される。その支離滅裂さが深いほど傑作が生まれる可能性も高いというものだろう。あとは推敲にまかせればいい。
推敲がすべてだという作家もいるくらいだ。
破天荒または支離滅裂、そして推敲、この両輪がうまくかみ合って新しい小説は生まれるのだろう。
たとえばそれとは反対のやり方で、推敲をなくすために最初から完成品に近いものを書いていく手順は途中で停滞し頓挫するのが落ちだろう。
それこそ矛盾しているからだ。
「仏」にも「文学の精」にも他力の精神でゆだねるというメカニズムの重要性は同じことのように思われる。



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2016年04月19日

詩散文DD

われわれの運命はその非現実性ゆえに恐ろしいのではない。不可逆不変であるがゆえに恐ろしいのだ。
時間はわたしを作りなしている材料である。
時間はわたしを運び去る川であるが、川はわたしだ。
時間はわたしを引き裂く虎であるが、虎はわたしだ。
時間はわたしを焼き尽くす火であるが、火はわたしだ。
不幸なことに世界は現実であり、不幸なことにわたしはボルヘスである。

(ボルヘス)
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2016年03月27日

雑文AA

三つとか四つとかのストーリーを時間を巻き戻して有機的に絡み合わせる作劇法を考案したのはタランティーノなのか、それとももっと以前に誰かがやったのか調べていないのでよくわからない。この時間戻し作劇法を日本で取り入れたのは内田けんじで、彼の『運命じゃない人』は小粋に成功していた。タランティーノもしばらくこの作劇法を封印していたが新作『ヘイトフル・エイト』では見事に復活させている。中盤部に、前半部とからみあるもう一つのストーリーが展開し俄然映画が水を得た魚のように生き生きと疾走し始める。前半と中盤の二つのストーリーはもともと一つのストリーなのだが、生起的な時間軸で言うと同時発生的だったので、一方のストーリーを時間を巻き戻し中盤部で語ることで全体を活性化し大団円としての終盤部にむけて突進してゆくのである。ところで、三谷幸喜のNHK大河ドラマ『真田丸』の作劇法が何かいままでと違うなと感じていたのは私だけではないだろう。というより「コメディを封印したシリアスなドラマ」ということを本人も強調しており、本編ではすぐにあられもけれんみもなく「義ある者」をどんどん殺していく裏切りのリアルさに途惑いつつ目を瞠っていたわけだ。ところがあるとき気がついた。これは欧米で大ヒット中の大河戦国劇シリーズ『ゲーム・オブ・スローンズ』のドラマ作りにそっくりなのだ。もっともこちらはどちらかというとファンタジー戦国時代劇だが、そのベースになっているのはやはり英国のリアルな戦国史である。その残虐さである。5年目に入ったこのシリーズは全編、虐殺、殺戮、支配、傲慢、策略、調略、裏切り、憎悪、密約、和睦、逆転、なのである。三谷幸喜はその作劇法を、昔から日本人がよくやる方法で、日本的にうまく取り入れている。とくに際立っている取入れは、「義ある者」といえども、策略と裏切りにより惜しげもなくどんどん殺させてしまうという作劇法で、こういった展開法はやはり日本にはなかったもので、あるいは作家の想像力のなかにはなかったもので、世界的に見ても、『ゲーム・オブ・スローン』を嚆矢とするのではないだろうか。
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2016年03月25日

詩散文BB 

魔術師ニタニが、からの酒樽から鳩を飛ばし虎を飛ばし象を飛ばす。
幻想と、想像力によって脚色された事物。

究極のところ、わたしたちは一人では生きられない。
孤独に狂いたくなければ、誰かのために尽くしながら生きるしかない。
しかし現実は個として生きていかなければならない。
誰も代りはできない。
この世界ではわたしたちは、人のために一人で生きるのだ。
このことが意味するのは、
わたしたちは一人ではない部分と一人である部分を持っていて、
それは矛盾でもなんでもなく、どちらかというと多様性という名の一つの美に属することだ。

多門渡留は今勝ったばかりのビリヤードの賭け金をポケットにねじ込んでから、ビールではあったが勝利の美酒をごくごくと喉に流し込んだ。青木沙理は勤めている動物園の年取って皮膚が白くなってしまった象・カナの動きを注意深く観察していた。葛西慎一郎は喧嘩して額から流れていた血を指で擦って舐めると、これで刑期が短くなる可能性がなくなったぜとやけ気味になり、看守たちの怒鳴り声を遠くに聞きながら床でのびている喧嘩相手を見下ろしていた。


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2016年03月17日

詩散文AA

遅い朝のコーヒーを飲んでいる鶴巻卓馬の耳にパトカーのサイレンがうるさかった。一階の部屋を外から覗かれたくないのでカーテンは閉めたままだったがあちこちの隙間から光は容赦なく差し込んでくる。サイレンの音を聞くと必ず反射神経的に「物騒になってきたな」と呟いてしまう卓馬だったが、この日も同じせりふを口にした。気にしないように無視しようとしたがサイレンの音は大きくなるばかりだった。遠ざかるどころか近づいているようにすら感じられる。音が大きくなればなるほど近づいているのは誰にだって分かることだ。「物騒になってきたな」と今日二回目の例のせりふが出た。薄くカーテンを開けて外を観察していると、あろうことか、前の狭い道路をパトカーが近づいてくるのであった。卓馬の部屋にサイレンの赤い光を放り込みながらパトカーは通り過ぎ、すぐ近所で停まった。「これは冗談じゃなく物騒なことになってきた」と声に出して、今日三回目の同じせりふの発語となった。
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2016年03月15日

詩散文Y

母は時々発作のように父を傷つけた。父の顔を爪で引っかいたり平手で叩くこともあった。父は血が出ている頬をタオルで押さえ、「いいんだよ、これで済めば。お母さんにはずいぶん迷惑をかけてるんだからね」と生涯一円も稼いだことがない父は無理にでも笑顔を作った。確かに詩人である父は今までに仕事らしい仕事をしたことがなく、実家の祖父母からもらった少ない財産と母の稼ぎで我が家は糊口をしのいできたのであり、母が発作的に父を傷つけるのは無理もないといえば無理もなかった。母は母で発作が過ぎると、何もなかったように、今までの修羅場はどこ吹く風と父にしなだれかかって甘えたりする。父はもちろん母の暴力的発散を許しているし、母としては父の詩人としての矜持を受容し、加えて無残なる無産をも妻の心構えとして理論的には許容しているはずなのである。
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詩散文Z

阪神淡路大震災が起った。一部二階部分が崩れ落ちたが、ソフィーの一家は全員助かった。一階に寝ていたソフィーが一番危なかったんだけれど、頑丈な机と机に倒れかかった本箱が、その上に落ちてきた二階部分をうまく支えてくれたおかげで助かったのだった。その本箱、机、落ちた天井の最終的かたちは、「石」という字に似た形をしていた。瓦礫の下敷きになったソフィーだったが、鍛えられた腕の力で崩れた天井や屋根や家具を持ち上げ押しのけ地上に出た。ひとりで抜け出したソフィーの腕力がどれくらいの物凄さを秘めているのかはまだ誰にも分からなかった。ソフィーはすぐ両親と兄を助け出し、みんなの気持ちが落ち着くと、今度は近所の人たちを助けに行った。
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2016年03月14日

詩散文W

私の父は長い間、そう、生涯を通じて無名の詩人であった。1億2千万人の日本の人口のうち父を詩人として知っている人はほとんどおらず、いてもせいぜい250人ぐらいではないだろうか。詩集は7冊出しているがすべて自費出版である。あまりにも詩が認知されないのを父は若い頃から平気を装いながらも気にしていて、小説を書こうとしていたのを私は知っている。小説は詩のせっかちさから抜け出せない限りは、つまりは、「詩がもつ速度の美」を諦めない限りは書けないと常々いっており、この転換は不可能に近いほど難しいことらしいのだ。とにかく父は詩人だが、詩では1円も稼いだことがない。子供はすべて母の貯金と収入で育った。そんな父が主催して35年も続いている詩の同人会「詩線」の集まりに出かけた折に面白い話を仕入れてきて有頂天になっていた。一番若い会員の仙道くんがこういう話をしたんだといって身を乗り出すように私に話すのだった。
『琵琶湖就航の歌』は1971年に加藤登紀子によってカバーされ、そのレコードは日本中知らないものがほとんどいないくらい大ヒットした。もともとこの曲は第三高等学校のボート部員でもあった小口太郎という学生が作詞し、それに新しい賛美歌として当時の学生たちの間で知られていた「ひつじぐさ」という曲にのせて適当に歌った曲だった。ボート部員の中安という学生が、「小口がこんな歌を作ってきたぞ」と感心しながら紹介したのが始まりで、みんなで「ひつじぐさ」のメロディにのせて歌ったのである。こうやってこの歌は偶然に出来上がったのである。作詞家小口太郎は作曲家を知らず、作曲家吉田千秋は小口太郎を知らぬままにこの曲は誕生し、長く人々に愛される歌となった。しかも小口太郎が作詞したのが1918年であり、翌年の1919年には吉田千秋は結核で他界するのである。24歳の若さだった。2歳年下の小口太郎もまた東京帝国大学を卒業し物理学者の道を歩み始めて2年後、26歳という短い生涯を閉じている。自ら命を絶ったといわれている。
「この話を聞いたとき、おれはね」と父はさらに身を乗り出して私にいった。「神よ、この偶然はいったいどういう心づもりでそうなさったのですか、この二人の夭折でいったい何を意図されたのですか?あなたほどの気まぐれ者もこの天壌には存在しますまい、と問いただしたかったよ」と詩人らしい怒りの声をふるわせた。そのあと私たちはインターネットで『琵琶湖就航の歌』を何度も聞いた。

 われは湖(うみ)の子 さすらいの
 旅にしあれば しみじみと
 昇る狭霧(さぎり)や さざなみの
 滋賀の都よ いざさらば

しみじみとした、静謐で優しい歌である。



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2016年03月11日

詩散文X

信州の豪族、佐津加秀元は武将真田昌幸と並び称せられるつわものであった。佐津加秀元には愛らしい姫君が二人おられた。姉の君は七名姫(なななひめ)といい、妹の君は名無姫(ななしひめ)という。姉の七名姫があまりにもたくさんの名前を独り占めしたので、妹君には名前が無くなってしまったゆえに、名無姫と名がついたのだと城内でも城外でもまことしやかにささやかれていた。もっとも御二人は名前のことなど気にしてはおられず、いたって仲のよい姉妹であったといわれている。幼き頃は貝合わせやお手玉や御はじきなどして遊ぶのも好きだったが、六歳を過ぎると何より好きな遊びは野外でやる蹴鞠のようなもので、樹ノ根鞠といった。これはこの姉妹の両姫君がなんとなく遊んでいるうちに発明なされた遊びで、離れた二本の大樹の間で鞠を蹴りあい、相手側の大樹の根元の穴に鞠を入れた方が勝利を手にするという決め事であった。ちょうどうまい具合に二本の大樹の根元は枯れた部分が空洞になっていたのである。一対一でやるときもあれば二対二、三対三、五対五でやるときもあった。遊戯の時はあでやかな着物は着ず禅僧の作務衣に似たものを身に着けた。名無姫が得意とした妙技があった。それは身体を空中で回転させながら頭が下、足が上になったときに鞠を蹴り入れるもので、これは見る者をして感嘆の声を上げさせた。人々は牛若丸の敏捷さにちなんで〈牛若蹴り〉と呼んだ。名無姫が打ち明けたところによると、忍びの者の空中回転技を見たときにひらめくものがあり試行錯誤ののち体得したという。七名姫が十二歳におなりになったとき、大名柿山平左衛門の城に人質に出されることが決まった。別れの日が近づくにつれ、御二人は悲しみのあまり毎日泣き暮らされたのであるが、唯一樹ノ根鞠をなされておられるときだけは不思議に涙は止まったと伝えられている。見事な蹴りをおきめになった折など笑みがこぼれる時もあったそうである。この遊戯は秀吉のバテレン追放令の折に、イエズス会の宣教師によってヨーロッパに持ち帰られ、スペインやポルトガルで人気が出ていたものがイギリスに伝わったのだという。そのイギリスでは後の世になって鞠の代わりに豚の膀胱でボールというものを作り、大人数でボールを蹴ったり仲間の足元に移動させたり、木の根の穴に入れるのではなくある枠内に蹴り入れる競技に変わっていった。変化や進化はあったにせよ遊戯の原型がジパングの武将、佐津加の姫君から伝わったことにちなんで、その球技はサツカと名付けられた。それが現代の世界的人気スポーツとなったサッカーの由来である。
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2016年03月10日

詩散文U

こいつ、誰だ?と思ったら、おれだった。久しぶりだなと言おうとしたら、昨日会ったばかりじゃないかと馬鹿にされた。じっとおれを見つめる眼、そんなに見るなと一喝するように睨みつけたら、それそこに相手の眼はあるのだが、その眼の棲家である顔がないのだ。薄気味が悪かった。眼だけが空間に壁のカレンダーのように張り付いている。眼と視線は槍の先端のように攻撃的に光った。思わずおれは眼をそむけた。
 サイドテーブルの時計を確かめると、午前3時5分だった。なるべく本格的に起きないように気をつけながら、電気もつけずトイレに行って小便の音を立てた。ベッドに戻ってきて、血圧計を取り出し血圧を測った。少し高い。降圧剤のアムロディピーノ5mg.とロサルタン50mg.を一錠ずつ飲んで、再びベットにもぐりこもうとする。その前にすぐ眠りに落ちるように儀式みたいになっていることをやる。おもむろにスペイン語のテキストを手にし、偶然開いたページから一文だけ選んでそれを緩慢に声を出さず脳内で繰り返すのだ。暗記するためではなく、他のことを考えないためだ。そうして眠りが捕獲しに来るのを待つ。酒を飲むと目覚めてしまうからこんなときは飲まない。催眠剤なんかの薬もやらない。日を追ってひどくなるだけだからだ。脳が働かないように一挙手一投足に気をつける。静かに穏やかにゆるやかに波風立てずに動く。こういうときは眠れるという自信を持たなければならない。そうすると不思議と眠れるものだ。テレビやスタンドをつけたりすると光の攻撃で眠れなくなる。そんなヘタを打つべきではない。何かの加減で脳が完全に目覚め言語爆発が起こり始末に終えなくなる。そうなると脳内討論会の開催とあいなったり、不安運動会の開会宣言を聞くことになったりして3、4時間は眠れなくなる。そんな羽目になるとたまらない。
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詩散文V

 人間というのは陰でこそこそ何かをすることから逃れられない生き物のようだ。人に見られていない場所で自分だけの振る舞いをしても誰にもわからないという認識があるからだろう。頭のなかで何を考えようとこれまた誰にもわからないという認識によって、人は頭のなかなら何だって良からぬことを思い巡らす宿あを背負い込んでいる。人間の変な、理不尽な、理解しがたい行為や行動はその大部分がこの誰にも分からないという原理に基づく。もし世界中から誰にも見られていない場所を完璧になくすことができたなら、それだけで殺人事件は半減するだろう。もっともそんな状況になると、人類にはまた別の問題が生じてくるだろうが。裏を返していえば、あなたにとって大事なことはあなたの知らないところでどんどん起っているのだ。そして別のあなたの知らないところ、すなわちあなたの無意識の領域でもどんどん事は起っているのである。まるであなたがこの世界で生きていくためにはあなた自身など要らないのですよと言われているかのように。
 地球だってそうだ。私たちの知らないところで勝手な自転や公転でぐんぐん回っている、時速にするとすごい、暴走族だ。幕末の日本では攘夷か開国かとずいぶん激しく議論したり人殺しまでしたが、天動説か地動説かなどとは誰もなにも論議しなかった。まったくもっていつの時代にも存在したあれかこれかの議論など後世から見ればどうでもいいことなのだ。つまりその時代にあっても、それに関わらなければどうでもいいことなのだ。鎖国時代というのは、外とは関わらないという精神、つまり攘夷でやっていたわけで、キリスト教とか地動説とか民衆パワーとか革命にコミットメントしないということだ。昭和で言えば、外部として存在する国際連盟に参加しないということだ。ま、太平洋戦争は日本人の鎖国意識の名残りによって突き進んでしまったわけで、尊皇攘夷の精神が亡霊のように蘇ったわけである。江戸という時代は儒教や朱子学を錦の御旗として国家的引きこもりできた。だが長くやっていると当然それに飽きる人が出てくるわけで、そういう人たちは小さな窓を作ってそこから蘭学を取り入れた。蘭学それから洋学を学んだ者たちはこぞって尊敬に値する人格者で、おだやかな革新者であった。

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2016年03月09日

詩散文T

ホルへ・ルイス・ボルヘスは、「人は常にその敵に似るものなのである」と書いている。敵に似る、かァ。鬼畜米英という限りなく子供っぽい造語とともに日本陸軍が骨の髄まで憎み倒すべしとした米英両国の「知で世界を制覇する」という国家的基本思想に戦後の日本のそれも似てきたようである。いや日本にはもともとその芽というものはあったのであるが。いずれにしても人類が「世界を支配する知こそすべて」という思想から逃れるのはもはや手遅れのような気がしてならない。「世界を支配する知こそすべて」を翻訳すると、「質の高い教育こそすべて」ということになる。日本で教育が発明されたのはいつ頃なのだろうか。おそらく一等最初は、縄文時代あたりからだろう。いかに貝を採集するか、どこでどんぐりを採るか、どこの土器が丈夫かといったことを子供たちに教えていたのだろう。男は狩猟を女は子育てを学んだはずだ。その辺に教育の起源はあるのだろう。しかし本格的な教育は文字が輸入された時代以降だろう。初めて表意文字の漢字を見たとき日本人は歓喜したに違いない。目に浮かぶようだ。数とはなんだ、一、二、三、とはなんだ、三本の水の線を引くと川の意味になるのか、すごいな、ならば女のアソコはどう書くんだ、でもその文字は中国女のアソコであって、大和女のアソコとは違うんじゃないか、じゃ男のナニはどう書くのじゃなどと木簡担当官吏たちはわいわいやっていたのだろう。
 宗像導師は、受験妖術師と呼ばれていた。最初は密教の行者であったそうだ。比叡山修験道の厳しい修行を終え、どこをどう回ってたどり着いたのか今では一流大学合格を実現するための妖術をあやつる導師となっていた。彼の指導を仰げば、菅原道真公も喜んで勉学の後押しをし、護摩焚き呪術の頂点では李白、関孝和、樋口一葉、内村鑑三、北里柴三郎、湯川秀樹、白洲次郎、司馬遼太郎、遠藤周作等の霊魂がそれぞれ漢文、数学、古文、社会、生物学、物理学、英語、歴史、現代国語の授業をしてくれるという。従ってどんな難関大学であっても合格はほとんど間違いのないところだった。
 「死ぬこととは物に化すということだ」宗像導師はまずいちばんに塾生にこの教義を伝授するのが常だった。「人は物に化してのち永遠なる者となる。本当のところはもう少し複雑で、人は物に化しやがて忘れ去られてはじめて永遠なる者になる。皮肉なことだがそうなのだ。永遠なる者とは忘れ去られた存在なのだ」宗像導師は続ける。「ある意味で人は死を自覚しなければ知を獲得できない。この意味するところはな、死を覚悟して毎日を生きていなければ知は勝ち取りえないということだ。真の知と死を自覚した真の生は双子の兄弟だ。おまえたちに告げよう。この教義さえ分かれば、もうお前たちは好きな大学に合格しているのも同然だ」

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2016年03月08日

詩散文S

雨の日にひとりのサングラスをかけた訪問者がやってきた。お土産においしいアイスクリームを持ってきたので食べてくださいという。さっそくひと匙すくって口に入れるとそのアイスクリームのおいしさが透明なクリスタル工芸品よりも明瞭にしかも間髪を置かずに理解できた。もうひと匙食べたいと尾を引くおししさ。殺し屋が引退してもいいが引退する前にもう一人完璧なやりかたで殺したいと欲望してしまう、そしてそれゆえに永遠に引退することができないというのと同じようにそのアイスクリームはもうひと匙食べたいという欲望を永遠に起こさせるファムファタール的な宿命的な意地の悪さをもたらしていた。食べる者の心の暗がりの無意識を駆逐して行きながらあろうことか心をクリスタル化しながら清らかな非存在の天使の高みにまで導く。そうなんですよ、このアイスクリームは神なんですよ、とサングラスをかけた訪問者はいった。ご覧ください、このアイスクリームの色はこの世には存在しない色です。ご覧ください、アイスクリームの形状は円筒でありながら球になろうなろうともがいています、ご覧くださいアイスクリームの温度はこの世に存在しない温度なのです、というよりこれは温度というより光度なのです。
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2016年03月07日

詩散文R

そんなに多くはないが他の洋風な家よりはガラスを多く使っているように見えるだけで、近所の人たちはその家を「ガラスの家」と呼んでしまうだろう。ちょっと青色のペンキで塗られている部分がある家の場合だと、「青い家」と呼ぶ、そのようなものである。人は珍しいところを強調するようにして呼び名をつけたがるものである。ましてや屋根がワイン色に近い赤味がかった色だと、これは目立つので、絶対的に例外なく「赤い屋根の家」と呼ばれてしまう。板橋区にある「赤い屋根の家」では、二人が死にかけていて、三人が夢を見る人で、二人が未成年だった。つまり寝たきりの祖父とガンを患っている父親に死期が近づきつつあり、白髪がかえって魅力的な母親と三十九歳の独身の息子と三十六歳の娘がそれなりに人生に夢を持って生きており、その娘が離婚後に連れてきた中学生と小学生の二人の娘たちが同じ屋根の下に暮らす七人家族だった。その二・三・二の家族は普通といえば普通、とりたてて何かが珍しいというほどの家族ではなかった。ある時点までは。とにかく「赤い屋根の家」というだけで、うちは普通ですよといつまでも主張し続けるには無理があった。
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2016年03月06日

詩散文Q

 あなたの部屋を見ていたとき、わたしはあなたに口説かれたら受け入れてもいいと思っていた。夫のトニーが付き添っていてくれたから、その日はふしだらな男女関係への道行きは無理だったけれど、わたしが人妻であることは関係ないと思っていた。ただ面倒なことになるのだけは嫌だったけど。幸いあなたは何日経っても行動しなかった。問題行動に踏み切るのが嫌だったのか、単にわたしに興味がなかったのかはわからないけど。でもあなたは売れない作家で金もないのだし、わたしの自殺した父の思い出に浸っているところがあってその娘のわたしを口説くなんてありえないと考えていても不思議ではないし、とにかくわたしの受け入れの覚悟はそのとき出来上がっていた。父のようにあなたも世界でいちばん淋しくて可哀想な人と思ったのかどうかはわからない。また一人ここに作家を目指す悲惨な人がいる、いったい何万、何十万人の同種類の人たちが古今東西、数世紀に渡って存在していたんだろう、そう思うと悲しくなった。父から彼への遺書やいくつかの原稿をあなたに渡したとき、わたしは泣いていた。あなたは勘違いして、可哀想にまだお父さんの死から回復できないでいるんだねと言った。本当に作家さんというのは、架空の人たちの心は読めても、現実の人間の心の動きはからっきしわからないものなのね。でもわたしはその頃もう睡眠薬なしには眠れなくなっていた。夫のトニーはそれをひどく気にしていて、控えるように強く忠告していた。尾形亀之助の妻みたいだよ、とトニーはいった。比喩の対象が古すぎるわよ、いったいいつの時代?昭和初期?どうせなら、マリリン・モンローみたいだって言ってよ。どっちだって同じだよ、睡眠薬はよくないって分かってるなら止めてくれよ、とトニーはいったけど彼の注意はわたしにはあまり効き目がなかった。
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2016年03月04日

詩散文P

 古いビルの前に立っていた来島あずきは住所をたしかめると付き添ってきてくれた夫のトニーの目を見てうなずいた。心もち緊張した顔で、「ここよ」といった。これから訪ねる人は父の手紙だけの文通友達だった。11ヶ月前に自殺した父は、自分よりはずっと若い青年、娘のあずきよりは一回り年上のその男性と十年近くも文学的なテーマで手紙のやり取りをしていた。あずきが目を閉じると、文学の同志ともいえる文通相手のことを語るときの父の嬉しそうな顔がよみがえって来た。いつの日にかその青年と会ってみたいという願いが父にはあったようだが、ついに実際に会うことはなかった。もちろんあずきは数年前に写真を二葉見せてもらったことがあるだけで特に気になるという人物ではなかった。それでも父からその人のことをよく聞かされていたから彼女はその人を古い友人のように感じ、風貌や性格もちゃんと知っているつもりになっていた。本当のところを言えば、ここまでやって来たのは亡き父のためなのか、もはや青年ではないその文通相手のためなのか、それとも彼女の内部でくすぶっている会いたいという気持ちが彼女をここまで運んできたのか自分でもよく分からなかった。エレベーターはなく三階まで薄暗い階段を上った。表札には十倉とだけある。十倉隼人だ。
 ベルを鳴らすとすぐに十倉がドアを開けた。あのう、わたし…、とあずきはいった。ああ、わかってますよ、来島さんの娘さん、あずきさんですね。身なりをかまわないといった外見と容貌からは想像できない明るい声が返ってきた。前もって電話で訪問を告げていたし、十倉さんもわたし同様なんだか古い友人とか家族のように私を思っているに違いない、とあずきはとっさに考えた。二十代を海外で過ごした十倉はそれが自然であるかのように手を伸ばしてあずきと握手し、ついでトニーと握手した。彼は、さあどうぞと再び明るい大きな声を響かせた。部屋の中に入ってひと通り見渡すと、ああ、この人も父と同じで売れない作家の極貧生活を送っているんだわ、と直感したあずきは深い嘆息を漏らした。1990年10月の第二水曜日のことだった。
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詩散文O

 ノーベル文学賞を2回受賞したところで何らおかしくないほどの才能に溢れていたチリ人小説家ロベルト・ボラーニョは、2003年50歳の若さで病死したため結局1度もノーベル賞は取らなかった。しかし彼が残した作品は、世界文学界を震撼させるもので長く読み継がれていくことだろう。十倉隼人より2歳若かったが、ほぼ同世代だった。無銭旅行が若者の間で流行った時代、十倉も22歳のときに日本を離れ、アメリカを放浪したあと南米を下って行った。1968年、15歳のときに家族と共にチリからメキシコに移住していたロベルト・ボラーニョは、5年後に発生したクーデターによるピノチェト軍事政権の弾圧状況を確かめるために単身チリに戻った。その1973年の同時期、十倉は、到着したサンフランシスコで仮住まいを始めた。チリ軍事独裁政権により投獄されたボラーニョは何とか釈放されたが、1974年1月、チリを後にして二度と祖国には戻らなかった。十倉がチリに入国したのは1975年春だからロベルト・ボラーニョとは約一年のすれ違いになっている。もちろん十倉とボラーニョとの間には詩と文学以外に何の関係もない。二人がすれ違った時代から40年後に、十倉はロベルト・ボラーニョの翻訳された作品群を読むわけだが、それは抑えがたい懐かしさを伴うものだった。若者の放浪の時代であり、ヒッピー文化の時代であり、ベトナム戦争が激化し、学生運動が世界同時に起こった時代だった。ボラーニョが書いているところによると、メキシコで彼は、『ホーリーマウンテン』で有名になった同じチリ人の前衛映画作家ホドロフスキーと知り合いになっていて、禅師高田慧穣氏の修行場に行くように推薦されている。高田座禅教室に3回通ったあとにボラーニョは自分には合わないと考え、座禅中に逃げ出すが鬼のような日本人禅師に追いかけ回されたとそのドタバタ劇を記している。十倉はニューヨークの自然食レストランでバイトをしているときに、日本人の聖者のような先輩から新しい西洋化された禅の方法を学んでいたので座禅には意義を感じていたが、5年後その聖者のような先輩がネパールで割腹自殺を遂げたと聞いてからは数十年に渡って落ち込んでしまう結果となった。いつか天国でロベルト・ボラーニョに会えるなら、高田禅から逃げ出した彼に「ロベルト、あんたは逃げて正解だったよ」と冗談を言いたい気がする。同じチリ人の作家ルイス・セプルベダは世界放浪をしたあと、『ラブストーリーを読む老人』という作品を出し世界的に知られるようになった。放浪の様子は『パタゴニア・エキスプレス』に詳しい。1975年、十倉がペルーのリマのペンションに滞在しているとき、日本人の若い詩人の卵に出会っている。名前は対馬俊典くんというのだが、その後は行方も知れず、六十半ばの十倉は今でも思い出すことが多い。二十歳で世界文学や古典は全て読んでいて、文学的知識と才能は言うに及ばず、文武両道に通じ合気道の有段者であるばかりか、とにかく水泳がずば抜けてうまかった。うまいというより、沖合いに長時間滞在することができた。リマの沖合いではイルカと戯れることが好きで好きでたまらず、ペンション仲間と海水浴に行ったときはいつでも、三、四時間海の上でイルカと過ごすことは普通のことだった。

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2016年03月03日

詩散文N

ブコウスキーは書いている。
「立派な詩人の人生なんてのは糞溜めみたいなもんなんだよ」ってね。
ま、そうかもな。
ややもすると、おれも詩人なんかになったりするが、詩が金になったことは一度もない。詩は金になりにくい。供給過剰というより、需要がほとんどゼロに近い。名前を売った詩人だけがいい目をみていやがる。ま、おれの場合、書かないからね、スランプなんだ、ガキの頃からずっとスランプだ。詩なんて書かないに限る。詩なんてものは誰も欲しがらない贅沢品、爆弾内臓のマセラティみたいなもんだ。金になんかならない。金食い虫の、毛虫扱いされる聖書だ。で、未来の話なんかして口幅ったいが、仕事をしたら金を払わなきゃいけない時代がくるよ。金なんか重要じゃなくなっていて、仕事をさせてもらえることが人間の喜びとなり、そのためには従業員のほうが金を支払うという時代だ。詩も同じ運命をたどるだろう。読んでもらうために金を払う、いやすでにそうなっているのかもしれない。ま、おれは金も名声も青春の思い出もいらんよ。おれには重すぎる。もったいない。釣りが好きだが、おれは釣針なんてもんはつけない。餌もない。魚を得ようなんて魂胆はゲスな振る舞いだ。竿に糸、糸の先には小石と浮き、これで充分楽しめる。ときどき何か釣れますかって肩越しに尋ねる聖者が現れる。おれは「いま、あんたが釣れたよ」って答える。おれが釣っているのは自由と孤独と他者の微笑だ。黄金の自由と孤独と他者の微笑みさえ釣れれば売れない詩人でも丸儲けってもんだろう。世の中、落ち目の詩人ほど素晴らしいものはない。誰に気兼ねもいらねえ。とくにあの意識高い系の胸糞悪い詩人どもや安全第一の大学教授詩人どもと付き合わずに済むだけでもガッツポーズを決めるべきだろう。見ろ、このおれのどや顔を、てなもんだ。世界は鏡禁止にすべきだな。どいつもこいつも鏡の中に自意識の卵を産み付けやがる。これは二酸化炭素を禁止するより大事なことだ。エゴの嫡子である自意識過剰から鬱は遠くないし、鬱から自殺は至近距離だ。百歩譲って鏡はあってもいいが、鏡に映すのはちんぽことプッシーだけにすべきだ。それを見て自殺するやつも増えるだろうが、それはまた別の話だ。
ボルヘスは書いている。
「鏡と性交は、人間の数を増殖するがゆえに忌まわしい」
まったくもって人間は増えすぎた。労働者も余っているし、詩人はもっと余っている。人間が増えすぎたのが、すべての問題の根源だ。赤ん坊は今日も母親を脱ぎ捨てて生まれてくる。途轍もない数の赤ん坊が、地上の至るところで。
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詩散文M

古いビルの前まで来るとメモった紙切れに目をやり住所を確かめた。聡二は人差し指で建物と建物の名前が書いてある看板を順次差し示した。いつもの指差し確認である。指の動きっぷりがが板についているのは長年職場で安全確認を指差しでやらされたからであろう。プロだなあと見るものをうならせる敏捷さと形式美と濃縮された序破急があった。これがすぐてんぱってぱんぱんになる彼に冷静さをもたらす効果を与えるのだった。一年に一度女を買うときもそうした。女が裸でベットに入ると、体よーし、年齢よーし、安全よーしとこころの中でつぶやきながら指差し確認をした。女はいつもいぶかしげに彼を見たあと、何ぐずぐずしてんのよ早くしてよとどいつもこいつも口を揃えたように言うのだった。明治時代に始まった指差し確認が聡二から不安感を取り除いてくれるのだった。ことはびっくりするほど早く終わり、もっと時間をかけてゆっくりとできたらいいのになあと思うこともあったが、指差し確認の後では性交も何かの任務のように感じられてきぱきと終了させないわけにはいかなかったのだ。食事は大衆食堂やファストフードのチェーン店でとるのが普通だが、そこでも必ず食事が運ばれてきたときに指差し確認をする。あるとき、運ばれてきた牛丼を指差して確認していたら、おいお前何やってんだよ、おれの作った牛丼に何かケチでもつけようってのか、と三十がらみの従業員に因縁をつけられ首根っこをつかまれて店の外に連れ出され顔や頭を散々殴られた。誰かが警察を呼んでくれたらしく、警察が近づいてくると男はユニフォームを脱ぎ捨て逃げ去った。ぼうとしていた聡二はわれに返った。ビルの前でもう十分近く立っていたことに気がついた。入らなくちゃとつぶやいた。
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詩散文L

待ったなしのソフィーはここに現れ、あそこに顔を出し、ここにいたかと思うとあそこに出没し、あそこにいたかと思うとここに出現して、あそこにいてもいなくてもなんとなくいるように感じられ、ここやあそこから消えても消えていなくてもどうしたわけかもともといなかったように思えるのだ。神出鬼没だ。時空を飛ぶことができる人のようだ。鼻歌まじりに疾走するアリス、あるいは疲れを知らぬピーターパンかもしれな。
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2016年03月02日

詩散文K

 ユング心理学では「こころ」とは、意識と無意識、男と女、精神と身体などあらゆる相反するもの、対立するものが出会うところである、といわれる。神道を精神の基盤としてきた日本に仏教や禅が輸入されて以来、「心という場」は「空無」に至ることを理想とすることが自覚され、自覚されようがされまいが、達成されようがされまいが、それへ向けた振る舞いが人々の生きる流儀の底流をなしてきていたのである。西田哲学においても「絶対矛盾的自己同一」という哲学的統合は私には「矛盾する対立の運動は加速すればするほどやがて空無に至る」というふうに理解できる。この用語はまさに禅的達成を言語化したものである。ヨーロッパ文化が対立の運動性を常態として引き受けるのに対し、日本の精神的土壌では対立を排除することを目指す。欧米が闘争的であるとすれば日本は逃走的である、ともいえる。とはいえ前者においていくら「心の場」で対立的、闘争的であることが常態化しているとはいえ、その緊張感には神や天使の救いが必要となる。逆に後者の「空無」の理想においては一神教は邪魔である。万物に八百万の神が宿るという程度で充分なのである。
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2016年03月01日

詩散文J

 出産によって一つで二つだった母親と胎児は、胎児が母親を脱ぐという現象によりそれぞれが個に、つまり各々が複数化する一になる、そして死によって個は多に、つまり全体性の一部になる。ビッグバンは宇宙が個になることであり、宇宙の終わりは多、つまりこの宇宙をふくむ全体性=無に変容することである。江戸の国学者、重宝合点之助の著書『怨霊鏡考』にある「余白より浮かびいずる余韻が余白に回帰する痛みと喜び」という概念は日本人の心象を理解する上で欠かせないものだが、これは現代の病理である潜在未決定願望、脱暫定アラフォー性症候群、陽気性自閉症、未達成感神経症、ペンディング症候群、エリート神経症、回帰性知能系幽体病の基本的心因群に根拠を与えていると考えられている。今日の心理調律師や禅的自我自在消去学の研究者は心的時間に分割線を引く可能性について論議するが、それよりも内的現実の波打ち際における経験段階の腑分け論のほうが記憶=追憶=塗り残しの観点から見ても遥かに有意義なパースペクティヴを持っているように思われる。

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2016年02月29日

詩散文I

 川原の原っぱには冷たい風が吹いていた。気を失ってその辺に打ち捨てられているシラユキを救い出したかったが、黒いスーツを着た男はそうはさせてくれなかった。対峙した男の身の動きは尋常でないほど機敏だと察せられ、危険な気配があたりに漂っているのがわかった。中国武道を身につけているに違いない。男は一、二、三とすばやい突きを入れてきた。月野木はその突きを右、左、右と腕で払ってかわし、反撃の拳を顔面の中心に繰り出した。男は後ろにのけぞってそれをかわすと右に回りこみ月野木の脚を払った。不意をつかれた月野木は倒れ、その瞬間に男は足で胸に打撃を与えようとしたが、月野木はうまく両手で足をつかみ思いっきりひねった。男は被害を少なくするためひねりと同じ方向に自らの体を回転させるようにして宙に飛んだ。両者が立ち上がったとき男は懐からナイフを出していた。一瞬ナイフの刃が日の光を反射させ月野木の目に飛び込んできた。とっさに手の甲で光をさえぎった。合気道を心得ている月野木には、相手がナイフを持っていようといまいと同じだった。男が突進して取っ組み合いが始まり、もみ合ううちにナイフはまるで手品でも見ているように月野木の手に渡り、すかさず彼はその刃を男の腿肉にぶすりと突き刺した。男は後ずさり、ナイフを引き抜くと、ペッと唾を吐いて逃げ去った。
 すぐさま草むらに倒れているシラユキを助け出しに行った。見つけたとき、彼女の服は無残に引き裂かれ、髪は汚れパサパサに乱れており、顔や腕や脚には至るところに傷跡が見て取れた。拷問とレイプの痕がありありだった。抱き起こすと、爪がすべて剥がれていて、指先は血に染まっていた。口の中を調べると前歯が四、五本抜けれていた。腿の付け根からは流れた血の痕が数本の筋を引いていた。失神していた彼女の頬を二度叩き、名前を呼んで揺り起こそうとしたが目覚めそうもなかったので、抱き上げてそのまま車に運んだ。
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2016年02月28日

詩散文H

 『人ごとではない、愛が欲しい』、これがテンタの今年の人生フレーズだった。去年の人生フレーズは、『致命傷の傷こそ咲きそむる花』、であった。人生フレーズを実行する「フレーズ・ピン」は、180年ほど前に世界中で流行ったと伝えられるスマホという前近代的な器具に匹敵する人気アイテムで、今地球上でいちばん大切なものとして地球政府も推薦している個人機だ。生きるためにテンタもそれを実行しているし、もしそれがなければ仲間たちとのスムーズな連帯もうまくいかなくなるだろう。人生フレーズを実行しない地球人の75%が宇宙鬱になるといわれている。悲しいことに宇宙鬱になった連中は生延びるために宇宙に飛び、バンモン星人の支配下にあるバンモン船団に組するのが唯一の選択肢である。長い間、地球政府は彼らを甘く見ていたところがあり、ここ50年間はバンモン星人の勢力が右肩上がりに増大していて、やつらはすぐそこまで迫っているいわれている。ただ、戦闘態勢にあるわけではなく、なんら心配には及ばないとするコメントパースンたちも多い。人生フレーズはフレーズ・ピンを額の穴に刺し込み実行するわけだが、実行している間、想念の中で人生の意味論を言語学、論理学、統一理論などをベースに学び、宇宙、地球、人間は何のために存在するかということを学ぶことになる。自分の人生を穴のあくほど見つめ、無意味を意味へと変容させる力を身に付け、今年いっぱいをどう生きるかの作戦、つまり人生フレーズを自分なりに練る作業をする。
テンタは自分が人生フレーズの実行には向いていないと常々考えていた。自分には基本的に生きるうえでいちばん大切な何かが欠けているように思えた。土俵は変えられないので土俵の位置をどこかに移動する可能性はないか、何か他の手法でカバーできないか、そのことは考えず何か他のことで気を紛らわせたらどうか、などとつまらない思考を巡らすことが習慣化していた。しかし今年になってからある程度覚悟を決め、自分を信じるしかない、わき目も振らずやりぬくしかない、集中こそがすべてであると考えるようになった。
一月も過ぎ、閏年の二月末になった。その日は特に宗教色のない聖祭日だった。
夜になってから、自主的にフレーズピンを額の穴に差し込み、『人ごとではない、愛が欲しい』というフレーズを何度も唱えた。
祭日最後のニュースの時間にバンモン星人の飛行船団がやってくるという知らせが届いた。中継があったので映像機を通してペルー地区に来訪する船団の様子を見ることにした。他にやることもなかった。中継は中空に飛行船団が停止するところから始まった。10分ほど待つとスペースシップのドアが開き、中から船団兵士たちが飛び出した。それぞれがいともたやすく飛行しやがて柔らかく着地した。バンモンの兵士たちは大きい。大兵士たちが30人ぐらい降りてくると、その後からカラフルで派手な髪型をしてメイクも衣装もゴージャスな女の子が降りてきて中心の位置を占めた。10歳くらいだ。本当のところ年はわからないのだが、大兵士たちと比較して背が低いのでそのくらいの年だろうと想像されるだけだ。派手な髪型、派手な顔のメイク、派手な衣装で彼女が女王、あるいは女船団長であることがわかる。きらびやかな彼女が何か言った。口を開いたとき、歯が犬歯の二本しかなく他はすべて抜けていることがわかった。大兵士たちは手に何か平たいものをもっているようだったが、それが何なのかわからなかった。
ゴージャスな女の子が火花をこぼして輝いているスティックの光の粒を振り掛けると、大兵士たちが持つ平たいものから別の大兵士たちが産出されてきた。二次元の平たいものから見る見るうちに三次元の大兵士たちが飛び出してくるので、テンタは手に汗を握り目を見張り息を呑んだ。

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2016年02月27日

詩散文G

男と女はちょっと古風なホテルの一室で昼下がりの情事を楽しんでいた。
事が終わって、男はタバコに火をつけた。タバコの煙の輪を作って、何かと戯れるふりをして沈黙をやり過ごしていた。
女はタバコの煙の間から男の顔の表情を観察していた。
「私が罪悪感を感じれば感じるほどあなたは嬉しいんでしょ」
女がいった。
「好きなように解釈すればいい」
男はやさしくいった。
「じらすのが好きなのね。女が苦しむのが好きなんだから」
「男はみんなそうさ」
「なぜ?勝利感?」
「知らんよ」
「あなたには生まれつき、その素質があるのよ」
「何の」
「サディストの素質」
「つまらない言葉を持ち出すんだね」
「じゃ何といえばいいの」
「解釈はつまらない」
「女は解釈が好きなのかもよ」
「じゃ教えてあげよう。君が欲しいのはドラマであっておれじゃない」
考えてみればそうなのかもしれない。
でも悔しいから、女は違うことをいった。
「あなたよ、あなたが好きなのよ。ドラマを演じてくれるあなたと言ってもいいけど」
「ドラマを演じているのはおれじゃない。君と君の旦那の二人劇だ。舞台にいるおれはドラマの中にいなくて、舞台にいない君の旦那がドラマの重要な相手役だ」
「なんだか言いくるめられているような気がする」
「言いくるめてなんかいない。いつだっておれが君の中に入っていくとドラマの幕はおりるんだ。そして終わればまた幕が上がる」
「ベットでの営みは間奏曲というわけね」
「うまいこと言うじゃないか」
男は吸い終わったタバコを灰皿でもみ消した。二人は軽くシャワーを浴びたあと、帰り支度を始めた。
ホテルの部屋を出て、静かな廊下を歩き、エレベーターの前まで来たとき女がたずねた。
「次の間奏曲はいつ聴ける?」
そのときエレベーターのドアが大きな音を立てて開いた。



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2016年02月25日

詩散文F

当たり前に思えることは実は当たり前ではない。よかれと思ってやっていることが実は人を害していたということがある。人には、そんなつもりはなかったけれど、そんなつもりでやってしまっていたということもある。頭の中で想像されていることはあくまで想像されていることで現実とは無縁である。脳の中で作動しているものは正真正銘のリアルに感じられるが微塵もリアルではないのだ。思考は自由になされるように思われるが自由な思考など何一つない、自由だと感じられるだけだ。同じように外部の多から組み合わされる多様性はあっても、個から自然発生的に生じる個性はない。個性もあなたの手柄も外部の多から生まれた仮の結果である。そして人は模倣や影響や圧力や自制のなかでしか生きられない。

「原発には反対すべきよ。あなたも反原発運動に積極的に参加しなさいよ」

「それは君とはあまり関係ないだろ、社会運動家でもあるまいし」

「関係あるわ。原発を放っておくといつか世界は滅びるのよ。私たちがこの世界に生きている限り関係あることじゃない」

「いいよ、仮に原発を悪としよう。反原発運動を職業にしている政治家や社会運動家や組合員や評論家やならわかるが、普通の人である君が、しかもそんな社会的意識があまりなかった君がその運動に加わるのは君自身のことを解決してからにしたほうがいい。みんが正しいことと認めている運動に参加するのは、それが安全で心地いいからだ、そしてそれを口実として君自身の問題から目を背けているということだ」

「私自身の問題?なにそれ、そんなのないわ」

「ないように自分で自分の中に隠してしまっているから自分では見えないだけだ。見えないようにするのは見たくないからだ。見たくないから、世間がほめてくれる運動に夢中になる」

「あなたが言ってることって、行動や運動への参加を阻止しようとするシニシズムじゃない」

「全く違うね。みんながみんな同じ行動しなくていいんだ。それが言いたいことだ。もしそれをしなくてはならないと感じるのならそれは強迫観念だ。人はそれぞれの行動をすればいい。」

「だから反原発運動に参加しようとしてるんじゃない。私の中の何が問題だっていうの?はっきり言ってよ」

「それは君自身の問題だ。ぼくが土足で踏み込む問題じゃない」

「だからその問題を言ってくれないとわからないじゃないの」

「それは君の中に隠されている、探せるのは君だけだ。ぼくじゃない。ぼくがいえることは、君にとって反原発運動は関われば心地いいことで、たくさんの仲間がほめてくれ、どんなかたちであれ自己を表現できてある程度の自己満足が得られるということだ。それはハチにとっての蜜のようなものだ。蜜でありさえすればどんな花の蜜でもいい。運動も安全で心地いい運動でありさえすれば何でもいい。逆に言うと、長く続かない、すぐに他の対象に移って、永遠にそれを繰り返す。本当の個人的問題の解決も永遠に得られない。むしろますます隠蔽してしまう。そちらの方がはるかに大事なことなんだけどね」

 二人の議論はそこで停滞した。前進も後退もなく、沈黙の幕が下りた。何か美味しいものでも食べに行こうかと彼は言いたかったが、彼女の暗い顔を見てるとすぐさま却下されそうでそれが言えなかった。テレビのスィッチをつけた。『新映像の世紀』という番組が映し出され、加古隆の『パリは燃えているか?』というテーマソングが流れてきた




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2016年02月24日

詩散文E

 脳は怠け者の国の国王だから、あまり都合よく記憶という道路整備をしてくれない。敵に利用されるかもしれない道路など要らぬとばかりに忘却の軍を派遣して破壊にかかる。父は平四郎というのだが、平四郎が誰だか分からない。あんなに女遊びをして母や子供たちを苦しめたのに、どんな女たちと遊んだのか覚えていない。人はセックスの快感を記憶することはできない。たとえ出来たつもりでいても、それは薄ぼんやりとした状況の記憶でしかない。これをざまあ見やがれといわずして何と言おう。記憶がなくなった父は平四郎という個人を廃業して、小さな自然になったのだ。八百万の神の思想を持つ日本であれば自然となった父は神が宿っている石みたいなものだろう。父・平四郎はすでに平四郎の墓石であるが、陽気のいい日などはひゃこひょこ徘徊を始めるのが面白い。ゲゲゲの鬼太郎の世界である。彼はもはや陸軍エリートを恨まないだろう。あんなに作戦がヘタで自国の兵士を見殺しにし責任を感じない参謀本部とはいったい何だったのだろうと問うこともない。参謀本部と日本陸海軍さえ存在しなければ日本は勝っていたよと矛盾する変な話し方を父・平四郎はした。江戸時代まで武士道は武士階級だけのものだったのに、明治になり平民にも武士道精神を吹き込んだんだ、武士道は平民の憧れだったから、くれるというのならと平民も喜んで受け入れ兵隊さんになっていったんだよ、と父・平四郎はよく話していた。おだてられた平民は木に登ったんだよ、とも言っていた。昨日、私たちの目を誤魔化して父・平四郎はふいと外に出ると、例のごとく徘徊を始めた。心配して探したが、見つかったのは今朝で、駅前の交番に保護されているというので迎えに行った。交番に着いて中を覗くと、お巡りさんと仲良くなった父・平四郎は大きな声で話をしていた。わしは武士なんかにはなりたくない、忍者ならなってやってもいいぞ、と言って若いお巡りさんたちを笑わせていた。
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2016年02月23日

詩散文B

「モオツァルトの音楽を思い出すという様な事はできない。それは、いつも生まれたばかりの姿で、何というか、絶対的な新鮮性とでも言うべきもので、僕を驚かす」と書いていた小林秀雄の全集が図書館の棚に並んでいたが、その重々しい全集に、先輩森鴎外があまりにも流麗な文章を書く新人樋口一葉に敬意を払って恭しく敬礼したそれと同じ敬礼をして棚の前を通り過ぎ、次の列のアメリカ文学の棚からリチャード・ブローティガンの本を抜き出しぱらぱらとめくり、「もしかしたらわたしは、背の高い女性の服を脱がせるのは好きだが、小柄な女性ならば、自分で脱ぐところを見ていたいのかもしれない」という文章にぶつかりノックアウトされたような昂ぶりがサーファーが愛してやまないハワイの大波のように襲って来、さっそくそれを借りることにした。倉戸康平は借りた三冊の本をリュックに入れて、神社の前や大病院の横や板橋の長い商店街を抜けてマンションに帰ってきた。妹の紀美子はマジックの練習をしていた。「拓也は?」と訊くと、「もう寝た」と美紀子は答えた。「何か食べる?」と訊くから、「駅前で食べてきた」と康平は答えた。さらに「何を?」と訊くので、「ハンバーガー」と答えた。「また、そんなのもを」「ま、ちょっと本も読めるし、ハンバーガー屋は都合がいいんだ」「何か借りたの?」「ブローティガン」「ああ、詩人の」「知ってるのか?」「ちょっとね。『アメリカの鱒釣り』っていうのを読んだことある。確か一時期日本にも住んでたのよね、ブローティガン」「そうらしいな」「でも自殺しちゃった、猟銃で」紀美子は元文学少女だったからよく知っている。「うむ、そうらしいな」と倉戸は答えて、彼女が座っているテーブルのごちゃごちゃした雑貨を見て、「練習してるのか、何か新しい出し物かい?」「練習じゃない。仕掛けの工夫をしてるの。日本で誰もやったことがないマジックよ。この松明に素手の魔力で火をつけると激しく燃え上がる、そして松明の炎でこの透明ボックスの水を炙るとたくさんのアイスキューブになるって寸法よ。その氷を二、三個、小型の木馬に食べさせると三秒もしないうちに生きた馬に変身する仕掛けね」「生き馬に?その仕掛けってどんなんだい?」「ハハハ、教えない。来週馬の牧場に行って協力してもらうの。最後には馬に乗って空中浮遊するんだけどそれはまだまだ先の話ね」「へえ、大掛かりなもんだなあ」と倉戸はつぶやいた。まるで自分が勤めている特命部署のやってる暗殺防衛のための技術に似ている。とくにその仕掛けの気の遠くなるような複雑さが似ていると思った。二人の会話は夜更けまで続いたがやがて眠気の霧の中で沈黙の淵に流れ落ちていった。


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2016年02月20日

詩散文C そうめん

 そうめんなどすすっている昼下がりにいつの間にか雨が降り出していたというようなことはよくある。老人には「いつの間にか骨折」という病名の怪我があって、これは文字通りいつの間にか骨折していてそれに気づかなかったということだ。高齢になっていくほどに注意力が衰える老人にそういうことがあるとすれば、「いつの間にか死亡」という現象も起こりうるに違いない。変な話だが、本人が死んでいることに気づかす死んでしまったということだ。そんな暢気な人もいるんだなあと佐門十三はあきれるのだが、そんな暢気な幽霊はきっとあの世と現世の境界線あたりを彷徨って、時として境界線あたりを無意味に出たり入ったりしているのではないかと妄想じみた考えが脳内で膨らんだり縮んだりする。この世とあの世の感覚もなく、有と無の認識もなく、ましてや境界線あたりの意識もないのだろう。
 居間の隅のほうから冷気を含んだ風が吹いてきた。今日は夜になると早々に家のドアや窓はすべて閉めてしまっていたので変だなと佐門は思った。でも変だとか面妖だとかでは済まされない。やはりこれは超自然的だと思った途端、背筋がぞっとした。すると声がした。風が吹いてきた方の隅からではなくて風が向かった反対側の隅から声は届いた。話がある、と声は言った。その隅を見つめても何も見えなかった。ところが4,5秒すると砂嵐の映像から現れるように何者かがぼんやりと出現した。陽炎のような蜃気楼のような人型のシルエットは何者なのだろう。ひょっとすると暢気な幽霊なのだろうか。そうだ、そうに違いない、佐門はそう名づけた。そう名づけると少し恐怖心が相殺された。もう佐門は怖くなかった。暢気な幽霊は「君も一杯付き合え」と一緒に酒を飲むように誘った。付き合えって、あなたは何も飲んでないのに、私に付き合えってどういうことです、飲みたくても何もないじゃありませんか、と佐門は答えた。「えっ、そうなのか、そうだったな、この手には何もない。空虚の他には何もない。まことにまことに。グラスもお猪口も何もない。ずっと長い間、頭に曖昧の霧がかかっているようで、てっきりウィスキーでも飲んでいると思い込んでいたが、実のところわしは何も飲んでいなかったのか、これはこれは、奇怪奇怪、いや失礼失礼」。やっぱりこの幽霊は暢気で、その上慌て者だ、と佐門は思った。
  この世の世界は亡霊を疲弊させるに違いない。青白い肌はますます蒼白になった。肩が落ち、猫のように背が曲がった。佐門には暢気で慌て者の幽霊が気の毒に思えてきたが、それでも暢気な幽霊が突然自分の左目を抉り取りむしゃむしゃ食べだし、ぼろぼろと顔の肉が剥がれ落ちその下から数百匹の蛆虫が這い回っている様を目撃したときは背筋が凍りつき、怖くなった。「そろそろお暇しますよ」と暢気な幽霊は言った。「あちら側に行くときはどんな気持ちなのですか?」佐門は慌てて質問してみた。「そうだな、ちょうど次の素数を探しにヒューッと飛翔するようなもので、永遠を飛翔するような感じだな」と暢気な幽霊が返事をした。「そうですか、それはそれは。ところで、ここにいらっした時に話があると言われませんでしたか、話とはなんでしょうか?」「ああ、そうじゃった、そうじゃった。言いにくいことだが、気を確かに聞いてくれ。じつは君も次の素数を探しにわしと一緒に飛翔することに決まったということを、残念だが、得心して欲しい、といった話なんじゃ。悪いな、肝心なことを最初に言わなくて。本件はまことに言いにくいことなんじゃよな。いつまでたってもわしは慣れん。ま、わしは、そのう、あまり喜ばれる使者ではないんじゃよ。簡単に言うと死神ということじゃ。わかるな、わかってくれよな」。そのとき佐門十三は悟った。眼前の亡霊は暢気な幽霊などではなく物忘れのはなはだしい死神だったのだ。そのとき、この世のものでない妖術の祭典が奏でる音楽が酔っ払いの足取りのように流れ出した。巨大な樹木から織り出される一枚の巨大な布は夢想の糸と恍惚の糸で編まれていた。砂漠の沈黙はくるりと一回転すると世界中の饒舌な生命となり、その生命の漣はどこまでもどこまでも爆発と惑乱を繰り返した。輝くばかりの空間は時間へと変容し、聖性に痙攣する時間は空間へと変容した。ようやく佐門十三は目を閉じた。不思議と穏やかだった。やがて死への飛翔が始まるのだ。そういうことさえもう考えてはおらず、ただ音楽に耳を傾けていた。
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2016年02月19日

詩散文D 時売りの妖女

 遠い国々の辺境では黒板を背負って村々を流れ歩く人がいる。知の伝道師、学ぶ喜びを子供たちの脳に植えつける知の植林行者だ。またそういった辺境では大きな鏡を背負って漂白する人がいる。ナルシズムの伝道師、鏡を覗き込むことで自分を愛で自我をもつ喜びに震えることを乙女や少年たちに直伝するナルシズムの密売人だ。あるいは辺境からさらに奥地へ行けば、柱時計を背負って行商する美しい女人もいる。通りかかりの男が何を売っているんですかと問えば、時間を売っておりますと答える。さても、それは不思議なものを売っておられますなと問うと、「一時間いくらで量り売りするのです、一時間を買いたい人がお金を払えば、この柱時計の針を一時間逆戻して差し上げます」「そんなことで買う人がいるのでしょうか、売れるとは思えませんが」とまた問い返せば、「一度いかがです、お試しにお買いになっては?」。男は女があまりにも美しいので興味を弾かれ一時間を買うことにした。女は背中から柱時計を下ろし、細く白い指を使って時計の針をきっかり一時間巻き戻すと、男の顔をじっと見つめた。凝視された男は女の美しさにいささかたじろいだが、女は柔らかい線を描くように男に近づいた。女の視線が男の視線にしっかりからみつきピンという音を立てると男は視線をはずすどころか身動き一つ取れなくなった。どうしたことだろう、男は今までに感じたことのない恍惚感とともにどこか淵の底に落ちていく感覚を味わった。これが時を駆けるということかと思えるようなビデオの巻き戻しの最大スピードで下降していった。背筋を稲妻のような快感が走った。気がつくと小さな赤ん坊になっていて母親のおっぱいを吸っていた。その刹那目を大きく見開いた。そしてすぐ目を閉じたがその時全ての記憶は消えていた。若い母親は一瞬目を見開いた赤ん坊が何かに驚いたとは思ったが、何に驚いたか気にも留めず、目を閉じてすやすや眠る赤ん坊を小さなベットに横たえた。
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